モラトリアム

「モラトリアム」

デジタル大辞泉の解説によれば、

肉体的には成人しているが、社会的義務や責任を課せられない猶予の期間。また、そこにとどまっている心理状態。

ということだそうだ。

私は子供の頃に夢や目標は無く、高校を卒業してすぐ就職した。

「肉体的には成人しているが、社会的義務や責任を課せられない猶予の期間」などは全く無く、未成年の時から働き始めた。

これは私の父も同じ。

むしろ、父はもっと壮絶な人生を歩んできた。

私には父と同じ人生を歩むことはできない。

私は父のように心が強くない。いや、私も心は強い方だが、父の心の強さとは比べ物にならない。

これは私の推論だが、メンタル、心が強い人ほどうつ病などの精神疾患に罹りやすいと思われる。

私はお医者さんじゃないし、統計を取ったわけでもないから、全く根拠のない推論。

ただ、うつ病経験者の私が言えることは、人生を真面目に生き、将来の事や様々な事を真剣に考える人が罹りやすい。

考えてる途中で、「ま、いっか!」っていう一区切りができる人は罹りにくいと思う。

話がそれちゃった。^^;

本題は「モラトリアム」の話だった。

私は20年のサラリーマン人生を経て、39歳にして一年間だけ「モラトリアム」が許された。

許しを得たのはカミさんに他ならない。

未成年の頃から社会的義務や責任を課せられてきたんだから、一年間だけ許してくれてもいいよね?

カミさんとは結婚した。子供も欲しい。子供を育てていきたいと思ってる。

でも、私のココロの中で誰かが私に問いかける。

『お前、このままの人生でいいのか?』
『お前のお父さんは「ヤリタイコト」を仕事にしてお前に「やりたいことをやれ!」と背中で語っていたんだ!』
『お前が「ヤリタイコト」をしないまま、将来子供に対して心の底から「やりたいことをやれ!」って言えるのか?』
『お前の人生はお前だけのものだ。今日が「最後の1日」だとしたら、お前は今日笑って死ねるのか?』

ごちゃごちゃうるせえよ…

私の父方、母方の親族、弟、いとこを含めて、会社という組織に属した当初からホワイトカラーのサラリーマンは、唯一私だけだった。

私の家系は強いて言えば、職人の血筋を持った家系。

その家系の中でサラリーマンだった私は、ある意味では突然変異体なのかもしれない。

職人の血筋を受け継いでいるからかもしれないが、サラリーマンを職業とする人の幸せな人生というものが、私には具体的に想像できなかった。

毎年頂く年賀状に載せられている家族写真、私の目には二種類の人達に分けられて見える。

目を見れば分かる。

サラリーマンを生涯の職業として子供を育てていく決心をしている人の目は穏やかで優しい目をしている。

特に新婚さんは目が輝いている。

私が頂いた年賀状の大半の方々はこちらのタイプに属する。

かたや、将来に不安や迷いを感じている人は、どんなに表情が笑顔でも目が笑っていない。

目は口ほどにものを言う。不安や迷いを隠し切れない。

サラリーマンだった頃、私は私達夫婦の将来像が想像できなかった。

しかし、今はおぼろげながら将来像が想像できるようになった。

例えば三年後、私達家族の家族写真を載せた年賀状には私は満面の笑みを浮かべているだろう。

例え、今年一年間のモラトリアムで「ヤリタイコト」にチャレンジして失敗し、私の意に沿わない職業に就いていたとしても、私は満面の笑みを浮かべているだろう。

私は「ヤリタイコト」にチャレンジした。

将来子供に対して心の底から「やりたいことをやれ!」って言える。

ちなみに、私は今一番「ヤリタイコト」にチャレンジして失敗するとはこれっぽっちも思っていない。

「ヤリタイコト」に対しては成功するビジョン(将来像)しか見えていない。

「ヤリタイコト」に成功すれば、可能性はさらに広がるし、他の「ヤリタイコト」にも着手できる。

例えば、最終学歴を書き換える事だって可能だ。

例え、今年一年間で「ヤリタイコト」の芽が出なかったとしても、再就職して仕事をしながらチャレンジし続ける。

私はとてつもなくあきらめが悪いんだ。(笑)
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